私は今、自分で開発したオリジナル腕時計「japan」を手にはめて仕事をしている。パーツを買ってきて手作りしたものではなく、れっきとした工業生産品だ。
ムーブメント(腕時計の心臓部、クルマで言えばエンジンにあたる部分)を包み込むシリンダーは、なんと、金型から作った。
もちろん、一人でこんな離れ業はできない。
セイコーなど、日本有数の時計会社出身の時計師たちが、その本山の諏訪でネットワークを組み、あたかもファクトリーアウトレットでOEM生産するように、オリジナル時計を続々と生み出しているのだ。
私は、その一人、コスタンテの清水社長と組み、たった1年で自分のアイディアの製品化にこぎ着けた。セイコーなら5年はかかるだろうというプロジェクトだ。
きっかけは、40年間使い慣れた腕時計が壊れたこと。
中学生の時に買ってもらったセイコーの「ロードマチック(当時の薄型自動巻、プロは56型と称する)」を、何度か動かなくなったものの直しながら使ってきた。修理だけで10万円以上は使っているのだが、愛着があって手放せない。
それが、今度ばかりは近所の時計屋さんがみな匙(さじ)を投げた。
ちょうど、和田中の校長として5年の任期を終え、3年生と一緒に卒業というタイミングでもあったので、自分の卒業祝いに、気に入った腕時計があれば買い替えてもいいと考えた。
そこで腕時計の雑誌を買い込み、WEBでも探してみたのだが、世界中のどんなフォーマルな場でもリスペクトされうる「気品」と「風格」を兼ね備えた時計・・・となると、なかなか見つからない。
ロレックスではバブリーな不動産屋になってしまうし、パテック・フィリップはたしかに気品はあるが高すぎる。知人がしているフランク・ミューラーも趣味ではない。
そうこうしているうちに、飽きのこないネオジャパネスクなデザインで、しかも日本の職人技術が結集されているとなお嬉しい・・・と期待は高まってしまった。
「存在しない」のであれば、「創る」しかない。
それを可能にしてくれたのが、時計師たちのネットワークだった。
ここからの物語は「ソメスサドル」の鞄のところでも触れた『つなげる力』(文芸春秋)第七章に詳しくレポートしておいたから、興味があれば参照して欲しい。
どう関係するかというと、腕時計「japan」のベルトは「パッサージュ」に使われた子羊の皮で、ソメスサドルがこの時計のために特別に開発してくれたのだ。
ブランドを超えた腕時計「japan」がついに誕生したのは、2009年春。
ゴールド系とシルバー系、25個ずつ合計50個を08年暮れにネットで予約販売してみた。すると……
なんと、最終製品が出来上がってもいないのに、1ヶ月で完売してしまった。
コンセプトは私自身のプロデュースで、細部のデザインはスイス時計・宝飾デザインコンテストで「ジュネーブ市賞」グランプリを獲得した元セイコーのカリスマデザイナー・岡谷哲男氏が担当してくれた。
文字盤は長野五輪のゴールドメダルを手がけた職人による漆塗り(ちなみに英語で小文字の「japanは」漆の意味)。珍しい左竜頭で3時の位置からテンプの動きが覗け、その中心にはルビーが光る。夜光も世界初の色合いを採用して「宇宙の深淵に浮かぶ豊穣の月」を表現。ベルトの革はエルメスと同じ素材。その名にふさわしく、日本の職人の愛情と技術を結集して作り込んだ。
私はよく、発展途上国型「成長社会」と、現在、日本が突入した「成熟社会」の違いを、「みんな一緒」の社会から「それぞれ一人一人」の社会に変化するのだと説いている。これは『35歳の教科書 今から始める戦略的人生計画』(幻冬舎MC)でも詳しく述べた通りだ。
「みんな一緒」の大量生産・大量消費型社会では、普通の人がオリジナルの時計一つを生産することなんてできなかった。
ところが、「それぞれ一人一人」の個別対応型社会では、こんなことが可能になるのだ。
ヨーロッパのブランドであれば200万円台で売る品質の腕時計を、諏訪の時計師たちの知恵と技術で、その10分の一の20万円台で少ロット生産し、ネットで販売して開発費を回収する。
まさに「つなげる力」のなせる技だし、人と情報のネットワークの勝利。
その意味では、腕時計「japan」は、「みんな一緒の成長社会」から「それぞれ一人一人の成熟社会」への、象徴的な意味を持つプロジェクトなのである。
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藤原和博 Kazuhiro Fujihara


