(2009/12/10)
私は大学に入ってすぐに教習所に免許を取りに行き、父が買ったクルマを乗り回した。
息子も、大学に入ってすぐに免許をとったが、そんなにクルマには乗らないし、車種について、あれこれ夕食時の話題になることもない。この違いはなんだろう?
現在、40代から60代くらいの親世代(以下親世代)にとっては、「クルマ」「スキー」「ギター」が三種の神器だった。男の子がモテるためには、そのいずれかが必要だったという意味だ。
私の場合は高校からロックバンドを組み、ビートルズとビージーズ、それにグランドファンク・レイルロードをやった。リードヴォーカル&サイドギター担当で、バンド名は、いまでは気恥ずかしい限りだが「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。同名のオリジナル曲は、難しすぎて弾けない(笑)。本当は、レッド・ツェッペリンもやりたかったのだが、あの高音は出なかったし、リードギターの技術も追いつかなかった。
それでも、4人の仲間でやろうと決めて、玉川高島屋の明治屋でバイトをし、8万円でドラムからアンプ、ギター、マイクまで、一式買って初めてセッションした興奮は、いまも忘れない。当時の都立青山高校はメッチャ自由な校風で、道具一式を授業中教室の後ろに置いたまま、放課後、大音響で練習しても、先生たちに怒られなかった。考えてみれば、よく盗まれなかったものだと思う。
のちに、リクルートに入社して、元チェリッシュのリードギタリスト東正任と出会い、今度はオリジナル曲だけをやるバンド「COSMOS」を結成。ホテル・ニューオータニの鳳凰の間などで行われる忘年会で、ステージを務めた。
あくまでも社内で身内ウケしたヒット曲(?)は、結成30周年を機に調子に乗って「iTunes」にフィーチャーしてあるから、私のホームページ 「よのなかnet」 からダウンロードもできる。
なんと、東北最大級のスキー場「安比高原」でのライブ録音だ。
スキーは大学に入ってから、スキー同好会の合宿についていった。 リクルートでは、(当時、リクルートが主導して開発した)安比高原スキー場のオープンに合わせて東京での広報担当となったので、20代、30代と安比でスキーをしてもスタッフ扱い。いくらでも、タダで滑れた社員同士で安比に行けば、スキー場の夜は当然、ダンス。そして、チークタイム(男女が抱き合って踊るスタイル)となる。フォークギター片手にみんなに歌わせることができれば、さらにモテた時代である。
日本は、どのようにしてクルマ大国になったのか?一言でいえば、団塊世代を中心として、親世代がモテたかったから。暴論と言われるのを覚悟で、もっとはっきり言えば、「SEXするためには、クルマが必要だった」からである。
いま、なぜ若者のクルマ離れが進んでいるか?
「クルマ」がなくても、「スキー」で出会えなくても、「ギター」で釣らなくても、SEXできちゃう時代に入ったからである。
ちょっと、それじゃあ、あまりにも極論でしょう、とおっしゃりたい読者のために、もう一つだけ「日本がクルマ大国になった」まともな理由を挙げれば、それは、日本の住生活があまりにもプアーだから。3000万円でマンションを買うのは諦めざるを得ないけれど、300万円のクルマならローンで乗れる。この感覚が蔓延した。実際、クルマはこれだけ高機能になったのに、その価格は、自動車メーカーの凄まじいカイゼン努力によって、ここ3、40年ほど据え置かれている印象だ。同じ100万円がこれほどの付加価値を生み出した商品は他にない。
だから、日本中の住宅地で、どんなボロアパート(失礼!)の駐車場でもボロ車が停まっていることはない。それどころか、6、70年経っていそうなアパートの前に、平気でピカピカのBMWやベンツが停まっているような光景は、日本だけではないだろうか。
クルマを通して日本は、表向き、「階級社会」を乗り越えたのだ。
さて、若者のモテる手段としては、見放されてしまったクルマはどこに向かうのか? もはや、これだけ街に溢れれば、BMWやベンツもステイタスではありえないし、ちょっと前までは珍しかったアルファロメオやジャガーもよく見かけるようになった。ジャガーなどは、その昔、よく壊れるクルマの代名詞だったのに、電気系統がデンソー(日本製)になってから、売れるようになったようだ。
ステイタスでなければ、移動手段か? いや、もともと渋滞だらけで狭い路だらけの日本では、これからはクルマを持たないですます人が増えるだろう。リゾートにも、電車や飛行機で行って現地でクルマを借りたほうが合理的だ。エコブームは、エコカーより、むしろ(ヨーロッパのように)自転車に向かうかもしれない。
それでも、クルマが欲しい!---そう叫ぶ人は誰だろう?
60代以上の「まだまだモテたい団塊世代」たちが、むかし憧れた2シーターのスポーツカーに乗る。隣に乗るのは、連れ合いではないかもしれない。その息子と娘(団塊ジュニア)たちは、結婚して赤ちゃんができると移動には便利だから、子どもが小さいうちはエコっぽいクルマに乗る。あとは、自分の美学で飼い犬のように(めったに乗らない)「クルマを飼う」旧世代の人々と、アパートに住みながらも本当は「クルマに住む」新世代の人々だ。
ここからは、独断と偏見のクルマ論である。本当のクルマ好きやオタクの方々には読む気も起きない、ただの独りよがり。私は、「117クーペ」以外のクルマを、いまもって愛せない。●117クーペとは……(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
いすゞ自動車が生産していた乗用車である。流麗なデザインを備えた4座クーペであり、1970年代の日本車を代表する傑作の一つに数えられる。1968年に発売されて以来、長期にわたり生産され、長くいすゞのフラグシップを務めた。伝説の名車である。デザインは、イタリア・カーデザイン界の巨人「ジウジアーロ」。初期のモデルのお尻(テール部分)は、手打ちの押し出し加工だったという。
私は10年近く乗ったが、文句無くモテた。もっとも、ジウジアーロのこだわりで、デザイン上、ドア上部に雨樋をつけることが許されず、雨の日は降りる前からズブ濡れになったものだが。
やっぱり、クルマは、なんといっても「丸眼2灯」が優雅だと思う。何で日本のクルマのヘッドランプは、猫もしゃくしも、角張って、つり上がった一眼になってしまったのだろう……ウーン、嘆かわしい!! どなたか、117クーペを復刻した美しいシャーシに、プリウスのエンジンを積んだハイブリッドモデルを作ってはくれないだろうか。
まったく関係ないかのように思える話で、今回は締めくくる。じつは、私の住んでいる永福町には、とっておきの蕎麦屋がある。「黒森庵」という。
主人は、その昔、イタルデザインで「ジウジアーロ」と働いた。その後、ソニーで名器と言われるTVモニター「プロフィール・プロ」(いまでもコンサートでアーチスト側のモニターなどに使われている)をデザイン。突如辞めて「出張出前蕎麦打ち」を名乗る(ちくま文庫の本に詳しい)。信州(長坂)で有名な「翁(おきな)」で修行したのだ。
カッコいい男なのである。彼ももう、クルマには乗らない。自転車を自ら組み立てて乗り、ツール・ド・フランスの格好をして、今日も蕎麦を打っている。
●次回は、「贅沢とこころの豊かさについて-絵画を例に-」をお届けします。
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藤原和博 Kazuhiro Fujihara


