もう、あなたが、どこかの宗教団体に入信されているのだったら、私は何も言わない。
私自身は、キリスト教系の幼稚園に通ったことがあり、黒ずくめのシスターにイエス様のお話を教わった。
母方の祖母は仏教徒で、非常に宗教色の強い人だった。ちなみに、私はその影響で、一つだけ、意味も分からずお経が読める。
校長を務めた杉並区立和田中学校のある和田は、立正佼成会の発祥の地に近く、多くの信者の子弟が通ってきた。隣接する東京都の養護施設「世光寮」は救世軍(プロテスタント系)の経営で密に交流していたし、地域本部のボランティアでは創価学会の方々にもお世話になった。
特定の「宗教」に入信しているかどうかに関わらず、「宗教的」な生き方をしている人は、どこかに強さが漂うような気がしている。
だから、私は特定の教祖(とくに現在生きている教祖)に「帰依」してしまう(身も心も捧げ、投げ出してしまう)のはあまり奨めないが、「宗教的」な考え方を自らの哲学、つまり道具として身に付けるのは大事なことだと考える。
「宗教とは何か?」に自分の言葉で語りえるようにしておくこと。
宗教学者・島田裕巳氏は、「日本人は無宗教を堂々と標榜し、胸を張って一神教ではない考え方をみずからの宗教とせよ」と語っている。それも、いい。
なぜ、唐突に引用したか。
じつは、島田さんは和田中学校のOBなのだ(微笑)。
●次回は「結婚」をお届けします。
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藤原和博 Kazuhiro Fujihara


